磯部 貴裕(いそべ たかひろ)のプロフィール
はじめまして!たかひろです。
ぼくは現在フリーランスとして活動していて、ブログやSNSなどで情報発信をしています。
執筆経験なんて全くなかったぼくですが、会社員時代に「note」(無料ブログ)でアカウントを作って執筆をスタートさせました。
「note」を運営して8ヶ月が経ったころ、もっと本格的にブログと向き合いたい気持ちが強くなり、この『タカヒログ』を立ち上げました。
「note」では、あたたかい読者の人たちに支えられてブログを継続することができました。
収益的な部分についても、少しずつ発生してきていて、試行錯誤しながらブログを書く日々はとても楽しいです。
ブログ以外にも、SNS(Twitter・Instagram)で情報発信をしていて、ぼくの主な活動は「ブログ・SNS」といった感じです。
こんな感じで紹介すると、充実した人生を送っているように思うかもしれませんが、
見えないところで、
- 「このままの人生でいいんだろうか」という葛藤
- やりたいことがあるのに前に進めない苦しさ
- 心が晴れない毎日
など、絶望する日々も経験してきました。
本記事では、ぼくがこれまで歩んで来た人生を振り返りながら、今どんな思いで生活していて、これからどうしていきたいのかを書いています。
小学生の頃の足の速さが、弱さを見せれない性格に
今ではブログやSNSで自分が伝えたいことをためらいなく発信しているのですが、もともとそういう性格だったのかと聞かれたら、全くそんなことはありませんでした。
むしろその逆で、いつも他人の目を気にして、周りに合わせるような生き方をしてきました。
そんなぼくの性格を作った原点は、学生時代にまで遡ります。
小学生の頃のぼくは、足の速い子供でした。
小学生の時って、足が速いだけで周りにチヤホヤされてモテたりするんですよね。
そんな当時のぼくは、どんなこともみんなより優れていないと「価値がない」「誰からも必要とされない」という考えを持つようになりました。
本当は自分の気持ちを知ってもらいたいけど、弱い部分を見せたら自分の周りには誰もいなくなってしまうと思い、
必死に自分の気持ちを押し殺して、周りに認められる存在でいようとしました。
その後、中学受験をして中高一貫の学校に入学するわけですが、その先でも自分を守ることばかりに必死でした。
中学1年生のときに受けた一番初めのテストで、ぼくはとても悪い成績を取りました。
仲良くなった友達はみんないい成績を取っていて、ぼくは自分のテストの結果を友達に言うことができませんでした。
周りに認められるような結果を出さないと、せっかく仲良くなった友達にバカにされたり、仲間外れにされると思ったから。
それ以降のテストでは、もうあんな思いをしたくないと思い必死に勉強をしました。
だけど、この勉強も自分のためではなくて、みんなに嫌われないための勉強でした。
自分じゃなく、友達に認められるための努力だったんです。
- 本当の自分をさらけ出したら、嫌われてしまうかもしれない
- まわりについていけなくて、仲間外れにされたくない
という恐怖に勝てず、まわりにどう思われるかばかりを気にする人生を続けてきました。
そうやってまわりに合わせておけば、嫌われることはないし、1人ぼっちにならなくてすむから。
みんなに嫌われることはないけど、好かれることもない、そんなうわべだけの人間関係をしか築けない人間になっていきました。
これは決してまわりの誰かが悪いのではなく、「みんなに認められる人でいないといけない」と思い込んでいたぼくの臆病な心が原因だったのです。
なんとなく生きていく人生でいいのか?
高校卒業後は、地元の三重を離れ神奈川の大学に行き、そのまま神奈川に本社がある上場企業に入社をしました。
就職活動のときも、自分の意思なんて全くなくて「周りの友達がみんな就職するからぼくも就職する」といった理由で就職活動をしました。
当時のぼくにはやりたい仕事なんてなくて、「そこそこ年収が良くて安定してそうな会社に入れればいいや」という思いで、たまたま内定をもらった会社に入社することを決めました。
ぼくが勤めていた会社は、とくに残業が多いわけではなかったし、年間休日も多く世間一般でいうホワイト企業だと思います。
だけど、サラリーマンをしていた6年半、ぼくの心はいつも苦しさを感じていて、楽しく働けているという感覚はありませんでした。
仕事は営業をしていたということもあり、お客さんから注文をもらったり、悩みごとを解消できたときは、楽しいと思える瞬間はありました。
だけど、心の苦しさは消えることはなく、当時の仕事を定年まで続けたいとは思えなかったのです。
生活のために働かないといけないのはわかっているけど、やりがいを感じない仕事を続けることは、やっぱり苦しかったです。
(自己分析をせず、適当に就職活動をした自分が悪いのですが…)
そうはいっても、自分にはやりたいことも夢もない。
ずっとサラリーマンとして働いていくしかない。
この先40年近くこんな晴れない気持ちを抱えたまま毎日を過ごしていくしかないのか…
そう思っていたとき、YouTubeである動画を見て心を動かされました。
- 今いる場所から動き出さないと新しい景色は絶対に見えない
- 価値観を変えるためには新しいことをやってみる
自分の心の内側を見られたみたいで、ドキッとしました。
何から始めればいいかわからなかったけど、「とりあえず自分が興味を持てそうなものに手を出してみよう!」と思い、
英会話・投資・筋トレ・プログラミングなどにチャレンジしました。
でも、どれも短期間で諦めてしまい長続きしませんでした。
「やっぱり自分にできることなんてないんだな…」と絶望し、また会社と家を往復するだけの生活に戻っていったのです。
そんな生活が何週間か続いたとき、「やっぱりこのまま嫌々仕事を続けて、人生を終えたくない」という気持ちになって、
- 自分はこれからどういう生き方をしていきたいのか
- 自分はどういった時に幸せを感じるのか
を思い返して、iPhoneのメモ帳に箇条書きで書き出しました。
そうして出た結論が、
- 自分の好きな場所で好きな人と生きていく
- 毎日心がワクワクするような生き方をする
- ぼくと同じようなサラリーマンという働き方に苦しさを感じている人の背中を押す
というものでした。
大したことない自分の経験が、誰かの役に立つことを知る
目標を見つけたのはいいけど、実現するために何をすればいいのかわかりません。
何日も答えを見つけられていなかったそんなとき、たまたまVoicy(ラジオ)で「ブログで生計を立てている人」の話を聞くことになります。
その人はもともとサラリーマンをしていたけど、サラリーマンの働き方が合わなくて脱サラをし、ブログで生計を立てている人だったのです。
いわゆる「ブロガー」と呼ばれる人の話を初めて聞いて、こういう生き方が身近にあるんだと知ったぼくはブログに興味を持ちはじめます。
だけど、これまでの人生で文章を書いた経験は、学生の頃の文集や読書感想文くらい・・・
ぼくにブログなんて書けるのか?と思っていたのですが、ラジオで話していたその人は、
「ブログは誰でもお金をかけずにはじめられるし、いきなり長文を書く必要はない」
と言っていて、文章を書くハードルを上げていたのは自分自身だったということに気づいて、知識もノウハウも無いなかブログを書き始めました。
そこからはブログの本やライティングの本を読んだりして、会社で働いている時間以外のほとんどの時間をブログに注ぎました。
そして、「目標を実現するために本気でやってみよう」と思い、毎日更新することを決めてひたすら記事を書き続けました。
もちろん執筆経験もなんのスキルもないサラリーマンがブログを書いたところで、たいして読まれることはなく、苦戦する日々でした。
挫折しそうになりながらも、「とりあえず1ヶ月は絶対続けよう」と思い、とにかく自分に書けそうなことはなんでも書きました。
そして1ヶ月が過ぎたころ、たかひろさんの記事を読んで「励まされました」「ぼくも頑張ってみます」といった温かい言葉をくれる人たちが出てきたのです。
このとき、自分のブログを必要としてくれている人がいることが本当に嬉しくて、
「ブログを始めてよかった」「もっと誰かのためになる発信をしたい」と思えるようになりました。
適応障害をきっかけに、会社を辞めることを決意
サラリーマン7年目を迎える直前の2021年3月、会社から異動を命じられました。
サラリーマンをしている限り、会社に言われたことに従わないわけにもいかないため、異動したくない気持ちを抱えたまま、縁もゆかりもない兵庫県で新たなスタートを切ります。
転勤になった兵庫の営業所には営業がぼくしかいなくて、全て自分1人に仕事が降りかかってくるという状況でした。
どれだけ仕事を捌いても、またすぐに新しい仕事が入ってくる・・・
ただでさえやりがいを感じていない仕事(自分が悪い)なのに、休んでいる暇なんてなくて、ずっと仕事に追われている状態が続き、ものすごいストレスを感じていました。
定時内で仕事が捌ききれず、家にいるときも仕事のことが頭から離れず、ずっと憂鬱な気分が続いていました。
毎日胃が痛くて、胸が締めつけられるような苦しさを抱えていたけど、「辛い思いをしているのは自分だけじゃない」と言い聞かせて、なんとか出社し続けました。
そんな状態が半年ほど続いたある朝、ベッドの上から起き上がれなくなり、涙が溢れてきました。
ぼくの心はいつの間にかボロボロになっていて、体が悲鳴を上げていたのです。
このまま会社に行くのは無理だと思い、会社に連絡をして、2週間近く有給をもらいました。
会社に行けなくなった自分の症状を調べたら「適応障害」という結果が出ました。
適応障害とは、生活の中で生じる日常的なストレスにうまく対処することができない結果、抑うつや不安感などの精神症状や行動面に変化が現れて社会生活に支障をきたす病気のことです。
2週間の休みの間に、「これから自分はどういう生き方をしていきたいのか」をもう一度真剣に考える時間を作りました。
そうして時間をかけて葛藤しながら出した答えが、「誰かのために生きるのをやめて、自分の心に従った生き方をしてみよう」というものでした。
そしてぼくはこの直後、会社に退職する旨を伝えました。
会社に退職を伝えたときのブログ収益は、わずか1,000円ほど。
誰がどうみても、会社を辞めるべきじゃないですよね(笑)
だけど、「ぼくにならできる」という根拠のない自信があったんです。
なぜならそれは、29年間生きてきてようやく、自分の人生を自分の意志で決めることができたからです。
たとえ失敗したとしても、再就職したりバイトをしながらブログを続けることだってできる。
全く結果が出なくてどん底に落ちても、きっと死ぬことはない。
だったら、一度自分の好きなことを本気で仕事にしようと思いました。
ぼくにとってこの選択は、覚悟を決めるための貴重な経験となりました。
誰かの背中を押すきっかけになりたい
- もう今の働き方を続けるのは限界・・・
- このままやりたくもない仕事を続けていてもいいのかな・・・
- 自分の心に従った生き方をしたい・・・
そんな風に考えている人たちの背中を押せる存在になりたいと思いました。
ぼくが実際に経験をしたことだからこそ、痛いほど気持ちがわかるんです。
働き方に悩んで自分の心を壊してしまったり、本当はやりたいことがあるけど、そっちの道に進んで生活していけるかわからなかったり・・・
そんな人たちの力になれるように、ブログを書き続けていけたらと思います。
生きていくうえで大切なことは、今の自分の生活が幸せかどうかです。
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>>6年半勤めた上場企業を退職しました。理由・葛藤・決断について
ぼくが大企業の肩書きを捨てて、ブロガーとして生きていく決意を詰め込んだ記事です。
今の働き方に疑問を持っている人に読んでもらいたい内容になっています。
タカヒログを通して伝えたいこと
働き方について
ぼく自身そうでしたが、「仕事にやりがいを感じない」「生活のために働いている」「今の会社を辞めたい」という人が多いなと感じています。
今働いている会社が合わないという理由で、会社を辞めても絶望する必要なんてありません。
今ぼくたちが生きている時代には、たくさんの働き方の選択肢があるということを伝えていきたいです。
- 働き方に悩んで自分の心を押し殺して苦しんでいる人を救いたい
- 「今の生き方が幸せ」と思える人を増やしていきたい
と思っています。
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